1995.1.17モデルの仕事でハワイから戻ってきたのは午後5時頃…中学から大学まで神戸の女子校に進んだ。両親の勧め。大学在学中にミス日本に選ばれたのも母が応募。モデルも「家から通いなら」と許してもらった。ずっと親の言う通りに生きてきた…その気持ちを変えたのは、震災だった。「あの時、自分が死んでいたかも知れへん。親の言いなりでいつも決断から逃げていたら、後悔する」…両親を説き伏せ、カラオケが夜通し響くアパートでの東京暮らしはその春から。2年間はほとんど仕事がなく、梅干しだけで1日を過ごした日もあった…最高の思い出
岡本和久